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三十八神社参拝1

11月18日(木)霊眼が開けているさんの依頼により三十八神社に参拝する。


まず、海神社参拝 
祝詞が終わるとIさんの方にある映像が出てきた。
それは、お父さんに抱かれている赤ん坊の姿であった。

「なんでこのような姿が出てくるのか」となり、
私がいろいろとIさんに聞いてみた。以前、
奈良県の山奥にある神社でお父さんの供養をやってもらった事があるという。
それによって父親が成仏しておれば、
この祭りに出てくることはないのであるが・・・・・・・との結論が出た。


出てこられたその理由を聞いてみた。その答えはこうだった。
お父さんには娘Iさんへの思いがまだまだあった。
それは、Iさんが赤ん坊の時に亡くなられたからであった。
奈良県では、成仏の段階では9割できたが、後1割ができていない。


それは彼女がお父さんの思いの中で成人に達しておらず、

父親としてまだ心配、未練があったからである・・・・
私は、社の前で「成仏の続きをしますか」とIさんに尋ねた。
「やってください」という。
続きの成仏法を開始。祭りが終わった。

「地に触れおし、涙が流れてしかたがなかった」とIさんは語る。

「父は微笑みを浮かべて天空へ登られた」という。
目を赤くして感激されていた。
私がどのような祝詞をあげたのかは内緒。
ようするに、時期がきたのである。


このような親子の関係がここであこるのは、
三十八神社と彼女の過去世になんだかの関係があると直感した。
さらにIさんがある岩に手をおいた。
すると、なんともいえぬ悲しみがこみあげてきたという。

そこで祝詞をあげ、彼女の過去世を調べた。

祝詞の最中に、彼女には次のような姿が写ったという。

天女のように、すきとおった白い布を身に着けた幾人かの霊人がでてきた。
同時にお墓もでてきたと語る。

私が祝詞をあげてる途中、Iさんの思いの中に
「だいじょうぶ。だいじょうぶ。きっとすくわれるから」という
強い思いがわきあがり、何回も何回もそう語りだしたという。


幾人がさらに、人数が増え、お山の上から数えきれない大勢の同じように
漉き取った真っ白の衣を来た人が、つぎから次へと降りてこられたという。


そして救われていったという。
私にはこのような姿は見えなかったが、
祝詞の中には「めなしかつまのふね」という古事記に
書かれている言葉をあげていた記憶がある。

三十八神社には、神龍の池があり、
「耳成し龍神」という龍神さんが住んでおられる。
その前でもお祭りをした。
Iさんは、「黄金に輝く龍の目を明確に見た」という。
私は龍神の眼を見たことはないが、
そこにおられるということは、よくわかっている・・・・・・・


その人の御霊の開け具合によって、
いろいろな能力がでてくる時がある。
その能力によって、

「自分自身の問題を解きなさい」という神様からの伝言である。
霊性・神性の向上なしに、霊的な能力に囚われすぎると、
やがてその人は「気がちがう人」になっていく。


人間の認識器官には物事を見たり、聞いたり、触れたり、
味わったり、話したり、考えたりという能力がある。
これは、みんな持っている。故に、人間だ。
さらに、それを高めていくと、目に見えないものを見たり、
聞いたり、触れたり、味わったりできる幽体的な認識器官が開けてくる。


その次元を高めていくと、だんだんとレベルが上がり、
「人間とは何か」「なんで生れてきたのか」
「なんで私だけこのような苦しみにあうのか」
「 人間死んだらどこへいくのだろうか」
「私の存在理由はなにか」「 私の天職、天命はなにか」


「この世で、私の一族がやらねばならないことはなにか」

「私の一族が背負うべき宿命はどのようなものがあるのか、ないのか」


「 私が生まれてくるまでの前の世即ち過去世があるのかないのか」という
変な疑問が、だんだん解決がなされてくる。 
お釈迦様は「16の無記」即ち上に語ったような、
事柄について弟子に聞かれても沈黙された。
即ち、これは、この件は、言葉の次元ではわからないからである。
もがき苦しむ体験、経験でしかない。
Iさんも、今までの苦しみがあり、三十八神社特有の神気
(旧事本紀大成経が語る)に触れ、
自己存在の根っこの部分である問題が解けたことは、
素晴らしい限りである。

人間の生の根っこの部分の問題は、巷の占いでは決して
解けることはない。

そこに神様が介入しないかぎり到底むりな話である。

芽でたし、目でたし。

                  2011年1月2日記