30日、31日の両日は、氷が張り大変冷え込んだので、
元日のお祭りに山の上にある駐車場まで車がいけるのかと心配であった。
元日の朝は、山道も凍ってなかったので、
すいすいと車で行くことが出来た。その途中、朝日を見た。
南山城の東側に位置する山即ち、
奈良の吉野山の古い形が残っている
修験道のメッカの鷲山から登る朝日であった。
山から登る朝日が出てくる少し前に、
薄赤く光輝く山頂の空に光の柱が見えた。朝日が出る前に、
太陽から放たれる光の柱を見たのは、今回が初めてだった。
太陽には太陽の光の柱があり、
山には山の光の柱があるとは聞いてはいたが、見るのは初めてだ。
三十八神社には光が差し込み、元旦祭はつつがなく進行した。
お祭りの前後のあいさつの中に、私はみたび、
「あけましておめでとうございます」という挨拶の言葉を、
元旦祭に3度も使ったのも今回が初めてである。
お祭りが終わろうとする時、
神殿の扉の方向に一点の薄青い光が走った。
三十八神社でこのような現象を見るのは初めてであった。
お祭りが終り、神社の下にある磐座へ行って祝詞を
挙げていたら大きな声が聞こえてきた。
「宮司さんそっちへ行ってもいいですか」と語りながら
二人の氏子さんが磐座にやってきた。
「大きな磐座ですね。ここへ来るのは初めてです。
神社の中にこのような磐座があるとは知りませんでした。
ここは神様がおられるところですね。大事にせなあきませんね。
ここに参道を作ったら村のためにいいかもしれませんな・・・」と
大きなな眼を開けて私に語りだした。
私も語る。「この磐座の土地は、この岩までが神社の土地、
その岩から向こうが氏子さんが持っている土地ですから、
すべてに参道をつけてパワースポットとして村のために使うわけにはいきません・・・・・・」
氏子さん語る。
「そうですか。そんなら村も考えなければいけまへんな。
こんなおおきな岩のある神社は少ないし、
なにかいい方法はないですかな・・・・・」
神社の宮司をして15年経つが、
磐座の前で二人の氏子さんとこのような会話をしたのは、初めてである。
ここ三十八神社の森の中には大きな磐座が7つほどあるが、
7つのすべてにご神霊がまします。
特殊な感覚を持つものなら、このようなことはよくわかるはずである。
7つのおおきな磐座の中で、
2番目に大きい磐座には、約1500年前の当時、7歳ぐらいの女の子、
即ち姫様の神体が封じ込められていたので、
特殊感覚を持つ者数人で岩からお出しし、昇天していただいたことがある。
その幼い姫君は当時1500年ぐらい前、
}この土地を収める部族の長の娘であった。
もちろん、その姫君はここで殺され、且つその神体は、
特殊技術を使って岩の中に封じ込めるということをやった一族がいる。
神社の近くからは弥生式土器が出る場所があるので、
古い時代から村があったということになろう。つづく
次に磐座の下にある大きな池の中には、
耳成龍神さんが住んでおられる。
池の土手の中央に立って龍神祝詞奏上する。
12月の初めに大阪の大和塾からお一人で、
三十八神社に参拝に来られたIさんは、この池の前で
「黄金の眼」をした龍神さんを見られた。
正確に語ると大きな大きな黄金に光る眼だけ見られたということだ。
宮司の私は、池の龍神さんの姿を見たことはないが、
この池に龍神さんがおられるかどうか、
その程度のことはすぐにわかる。
異次元のあちらの世界に入ると何も眼だけで見るのではない。
指先で手で見ることもできるのだ。
わかる人であれば私が何を表現しようとしているかがすぐわかるはずだ。
人間の構造は簡単に語ると肉体と霊魂の二重構造でできている。
現実の世の肉体の死は、「肉体と霊魂の切り離し」だ。その時、ぼけっと
していると、肉体は死んでいるのに本人は死んでいると思っていない。
だから、寂しさのあまり、親族を頼ってあちこち行きまわる。
最近はこのような人が増えてきているらしい。
そのような人と接触するとウツになりかねない。
かりにその人がガンで亡くなったとすると、
その人にたくさん触れられた人は、「共鳴現象」により、体の調子が悪くなる。
いわゆるガンの家系とかなんとかの家系とかの原因は、
そのようにして発症する。ここに供養ということが大事になる由縁がある。
「生きてる間」に肉体が滅びても死なない自分を発見することは、
人間界共通の人生の目的の一つでもある。
平成23年は、新生の年、希望の年である。よき、設計図、
人生目標を描いて逞しく生きよう。
HPの作成と調整が本日やっとできた。
忙しかった。多くの年賀状を頂いたが、
明日から年賀状書きが始まる。
遅くなって、申し訳ございません。
素晴らしき年でありますように。