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「ヤマト政権誕生と大丹波王国」を読んで

正月4日に丹後一宮の籠神社宮司海部先生から1冊の本が贈られてきた。
タイトルは、ヤマト政権誕生と大丹波王国 著者は伴とし子氏である。
日本古代史の第一級資料となる本である。
籠神社には、日本最古とされる国宝の「海部氏系図」がある。

これは、昭和50年に重要文化財に指定され、
昭和51年国宝に指定された系図である。
この系図と海部氏が所有する海部氏勘注系図の二つの調査研究こそ
日本建国の秘密であり、その謎を解く鍵がここにあると著者は語る。

書物は第1章から第8章にまとめられる。

第1章ヤマト政権は大丹波王国が作った、

第2章古代大丹波王国の証

第3章国宝海部氏kらさぐる大丹波王国と初期ヤマト政権

第4章丹後に広がる海部氏の故地

第5章ヤマトへの道

第6章出雲と丹後

第7章豊受大身の信仰

第8章まとめ 大丹波王国は初期ヤマト政権そのものだった。

 

この本で特に注意をひかれたのは、第2章の神武より早くにヤマトにいたのは・・・P54 

第3章の謎の4世紀をうめる国宝系図・・・P101

熊野は海部水軍の根拠地か・・・P118

第5章の前ヤマトの大王は海部氏か・・・P139

第6章の丹波にいたシャーマン、ヒカトベと小児・・・P158

第7章の記紀にもれた元伊勢伝承・・・P169

などである。

日本書紀崇神天皇の条60年に丹波の氷上の人であり、
その名前を「ひかとべ」というシャーマンが出てくる。
ひかとべが垂仁天皇に語る。
「出雲の人がお祭りに使うみごとな鏡、力強く活力を持って神を祭れ」と。
これによって出雲の人の神祭りを許したとある。

氷上というのは、丹波市にある。旧名では氷上郡氷上町である。
ここに氷上白山があり、私(東)は4.5回登り、
山頂の雑草を払ってお祭りをしたことがある。
ある霊能者は、この地が古事記発祥の地であるというが、
その根拠は明らかにされていない。
丹波の国に様々な信仰宗教の元祖ともいえる出口聖師の誕生の地である。
これにもなんらか関係があるのかもわからない。

約20年前に籠神社に初めて参拝した。
目的は有栖川家の調査だった。本殿に参拝した後、
奥の宮に参る参道にかかると、
参道の上から袴をはかれた一人の男性が来られた。
その人にうかがった。

「有栖川家のことを調べているのですが、なにか心あたりはありませんか。」と
ぶしつけな質問だった。「ではこの参道の横にある海部家のお墓に、
有栖川家から嫁いだ方がおられるので、そのお墓に行きましょう」
と言われて、わざわざ海部家のお墓に連れていかれた。

これを書いていると「ワーッ」とくるものがあり、
その時の情景が浮かびあがった。
「まさしく丹後の海部と太平洋の海部郡とは密接な関係があり、
それは伊勢湾とも関係し、さらに熊野とも関係している」とのことである。

墓に連れていったお方が、海部の宮司さんその人だった。
その後社務所で、いろいろなお話をしていただいた。
宮司さんからは、宮司さんのお父さんが書かれた
「神に関する古語の研究」の本も頂いた。数年前である。

その本は、未刊の悲願の世界平和論3千枚の遺稿のうち、
そのなかから750枚を抜粋し、宮司さんが編集されたものである。
いわば、人間革命と宗教革命のビジョンが示された本である。

大変レベルが高いので読みとくのに相当時間がかかった。 つづく

                    2011年1月19日