2月7日は、83歳で亡くなった養母の誕生日だ。実母は、40歳で私を産み、
その二日後の10月24日に息を引き取った。
出羽島という小さな島の真言宗の本堂の横の四畳半で産まれた。
四国の南海の孤島である出羽島(この島には野口雨情の碑があり、
世界で三か所しか生息所が見つかっていない藻の一種の
「シラタマモ」が生息する)に産まれた。
台風の時であり、そのため、船の出航が1日遅れた。
島には医者がいなかった。
台風が過ぎ去った翌日、本土から島へ渡った医者は、
すぐ母にペニシリンを打ったがだめだったらしい。
お寺の檀家総代に養子に行くことが決まっていたらしいが、
今年94歳の観音寺住職の叔父(東義照)が私を引き取った。
観音寺で100日間育てられた後、
叔父の同級生であり友達でもあった養母(東ヨシコ)に引き取られて、
そこで大事に育てられた。
熊野東家は、御醍醐天皇に深い係りのある家系であるらしい。
熊野西丹後の守からの分れだ。私で12代目である。
初代(江戸時代)のみ名は「東 久太夫」、
2代目は、「東 佐五八」という。
3.5.8の聖なる数を跡取りに名づけた久太夫さんは、
大きなひとつの石に「お不動さんと大日如来」を造り、東家の守り神とした。
山の中にある一族の大きなお墓にある。
12代の中に養子が4人いる。その原因は、大きなお墓の供養がなされていないからだ。
故に長男が立たないのだ。幼くして死んだり、
長男がいても次男、三男が跡取りとなったりして、
養子を迎えたりしながら、
家系の流れを立てていかねばならなくなる。
そういう流れを断ち切るため、私は、何十回と熊野の墓に行かされた。
そして、様々な、出来事に会い、墓供養、先祖供養が、
如何に一族の運命を左右しているかという、
体験の元、その原理を悟らされたのである。
誕生後100日目で早苗家から東家へ養子に行ったので、養母も実母と同じであるが、
なぜ誕生時においてこのようなはからいがなされたのか、
それが私が道を求める大きな原動力となった。
その理由がわかってしまえば簡単である。
わかるまでは「大海に浮かぶ丸太に開いている大きな穴に、
亀が空気を吸うために、海中から海面に上がり、
丸太の穴の中に首を突っ込む」ということに、
等しい位困難な問題であった。
この人生の謎究明は、「過去世」と「ミタマ」に関する時間の流れ{次元差}を把握しないと
絶対理由がわからないし、その解明は人間次元では不可能だった。
養母は実母より過去世の縁が濃い。私の過去世とミタマの縁を調べるキーワードは、
こうだった。簡単に語る。
1.誕生日と出羽島と台風(設計図と過去世とミタマの系統)
2.養父の熊野東家と実父の阿波水軍の家老の家柄である
早苗家との関係(ミタマと地縁)
3.29歳で亡くなった実兄(正之)の死が大きな引き金となり、
京都の地に来て佛教大学に入学したこと(血縁と過去世の地縁}
1.2.3を纏め、求道のフィルターにかけて、
様々な自己における過去世(何回もある)を調べていく。
これが過去世探しの旅の第一歩だ。
2011年2月7日